||30|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_721.htm{{}}720|0|昭陵(しょうりょう)|2006-8-24|0|唐の二代目の皇帝・太宗李世民(在位626~649)の陵墓。西安市の西北60キロ。礼泉県の県城東北22㎞の九峻山にある。中国の歴代の陵墓の造り方は、大きく分けて二つある。ひとつは、秦、漢の時代に行われたように、土を盛り塚を造るやり方。もう一つは、唐の時代に行われた、山をそのまま陵にする、つまり自然の山の峰を利用して、それを陵墓の塚にしてしまうというやり方である。昭陵は、その後者の嚆矢であるとされる。
||28|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_720.htm{{}}719|0|長陵(ちょうりょう)|2006-8-24|0|漢の高祖劉邦(在位前206~前194)の陵墓。咸陽市の市街より東に20キロの地点にある。土を長方形につき固め、長さ180メートル、幅175メートル、高さ80メートル。西側に皇后の呂后塚、さらに西側に恵帝劉盈(在位前195~前188)の安陵、東側に景帝劉啓示(在位前157一前141)の陽陵がある。また、周辺には貴族の墓も多く、東西50キロにわたって塚群がひろがる。
||38|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_719.htm{{}}718|0|前漢の陵墓群陵(ぜんかんのりょうぼぐん)|2006-8-24|0|西安の西北、咸陽市の北原に前漢の皇帝の陵墓が一直線に並んでいる。前漢の皇帝は十一人であるが、そのうち、文帝劉垣(在位前180一前157)の覇陵と宣帝劉諭(在位前74~前49)の杜陵を除く九つの陵墓は渭水北岸の北原に東西50キロにわたって並んでいる。西から武帝の茂陵、昭帝の平陵、成帝の延陵、平帝の康陵、元帝の渭陵、哀帝の義陵、恵帝の安陵、高祖(劉邦)の長陵、景帝の陽陵の順である。このうち、長、安、陽、平、茂を五陵と呼び、漢代には陵邑(陵を守るための村)を設けていた。
||26|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_718.htm{{}}717|0|草堂寺(そうどうじ)|2006-8-24|0|西安市の西南30キロ。秦嶺山脈の北麓に位置する。この寺は、西域・クチャ出身の名僧鳩摩羅什(くまらじゅう)がサンスクリット語の仏典を漢訳した場所として世に知られる。四、五世紀のこと。また、ここから眺められる終南山は古来多くの文人墨客を魅了してきた。「草堂煙霧」という言葉がある。煙霧が立ちこめる中で、草堂寺から終南山を見渡すのが良いとされてきた。
||32|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_717.htm{{}}716|0|兵馬俑博物館(へいばようはくぶつかん)|2006-8-24|0|秦始皇陵の東にある。秦朝の将兵を模して造られた陶塑(泥人形)群。現在は、一号坑から三号坑まで公開されている。三つの坑の面積の合計は2万平方メートルに及ぶ。1979年に、一号坑の上に長さ200メートル、幅70メートルのアーチ形展示ホールを設置、兵馬俑博物館を開設させた。
||37|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_716.htm{{}}715|0|未央宮遺趾(びおうきゅういせき)|2006-8-24|0|||35|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_715.htm{{}}714|0|長楽官遺趾(ちょうらくきゅういせき)|2006-8-24|0|漢長安城内にある。秦代の興楽宮の基礎の上に、漢の高祖の5年(前202)に改修と拡張を行い、長楽宮と改称。周囲10㎞余り。そのなかに、前殿・臨華殿・長信殿など十四の宮殿が造られていた。あまりの壮大さに劉邦自身も驚いたが、蕭何は「天下を治めるには壮麗な宮殿で威を示すべきです」と答えたという。劉邦が生涯を閉じたのはこの宮殿においてであった。現存するのは遺構のみ。
||16|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-24/CITS_tibet_714.htm{{}}713|0|漢長安城遺趾(かんちょうあんじょういせき)|2006-8-23|0|漢の高祖の5年(前202)に劉邦(高祖。在位前206~前195)が秦朝の興楽官を改修して長楽宮と改称し、ここに遷都した。ついで、未央宮を造営し(前200)、その十年後に、はじめて長安城の城壁を築いた。版築で築き、周囲23キロ、高さ8メートル、底部の幅16メートルであった。各面に城門が三つずつ設けられ、城門ごとに三つの通路があり、城内に大通りが三本通じていた。
||14|False||False|/chinatour/china-tour/2006-8-23/CITS_tibet_713.htm{{}}]]>
