ギャンツェの概要
ギャンツェは、ラサの南西約260㎞、シガツェの南東約100㎞、標高395mの所に位置するラサやシガツェと並ぶ歴史をもって町(2005年10月現在、『県』の人口では、チベット自治区で8番目)だ。
ふるくからインドとの交易路の要衝として栄えてきたが、サキャ政権が事実上チベットを統治していた14世紀に、この地にシャカワー族が勃興し、パクパ・ペルサンポのときに最盛期を迎えた。それ以降も支配地域を整備し、17世紀にモンゴルのゲシ汗の侵攻を受けるまでは、パクモドやサキャなどの地方政権と競うほどになっていった。
その後、20世紀初頭に亜東が外国に開放にされてからは軍事的に非常に重視され、1904年にはヤングハズバンド大佐率いるイギリス軍の攻撃も受けた。
そのほかにも、ギャンツェはチベット仏教各派の一大学問センターであるパンコル・チョエデの門前町として有名だ。
町の名前の由来については、サキャ政権の大臣パクパ・ぺマが48歳の記念にツォン山の頂に宮殿を建設したとき、名僧パクトン・ランギェルがその美しさに感嘆し、チェ、ガル、ギャン(それぞれ、王者、宮殿、頂上という意味)と名付けたが、それが訛ってギャンツェと呼ばれるようになった、といわれている。
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