四周を高さ32mの磚製の城壁で取り囲まれ、52m幅の堀が取り囲む城で、四辺にそれぞれ一門ずつ、南の午門、北の神武門、東の東華門、西の西華門が開く。午門が正門である。
城壁の四隅には楼閣が建ち角楼と呼ばれている。城内の面積72万㎡、約9000間の部屋がある。
故宮は大きく分けると外朝と内廷に分かれる。外朝は午門より順に太和門、太和殿、中和殿、保和殿を主体にした区域で、東の文華殿と西の武英殿を含み、皇帝が大典などを行う重要な場所であった。太和門をくぐると、太和殿、中和殿、保和殿の三大殿がある一角に出る。ここは紫禁城の中心といってもよい場所で、三殿はちょうど工字形の基台の上に建てられている。三層になっている基台は、三台と呼ばれ、漢白玉石で出来ている。
内廷は乾清門以北の乾清宮、交泰殿、坤寧宮を主体に、東六宮と西六宮、養心殿、寧寿宮、慈寧宮を含む区域で、皇帝が日常政務を執ったり、皇帝や皇后貴妃たちの住む後宮があった部分である。
現在はその大部分が中国最大の博物館、故宮博物館として使われ、収蔵品は90万件以上に及んでいる。
明代の14人の皇帝、清代の10人の皇帝が中国を491年間にわたって統治した居城で、宮廷が置かれていた。紫禁城とも呼ばれ、かつての皇帝の宮殿の意味で故宮と呼ばれる。
13世紀、モンゴル帝国のフビライ汗が元王朝を成立させ、ここに居城を定めたのが皇居の始まりである。
元王朝は滅亡の際に、発祥の地モンゴル高原に逃走したため、王朝交代期に起こる籠城戦による宮殿の破壊は生じず、大都城はじめ多くの建築物が残ったようだ。しかし、明代になってここを首都と定めた永楽帝は、これらを皇居としてそっくり使うことはせず、大改修をして再利用した。
明滅亡後に入京した清王朝はほとんど宮殿を改修せずに利用した。とはいっても多くの宮殿は失火などで焼けてしまい、現在も残る明代の建築物は内廷にある欽安殿ぐらいである</P

