漢時代
紀元前111年、漢は秦の行政システムをもとにして站山郡を設立、管轄範囲は今の羌族地域とほぼ同じで、站山郡の下に綿篪県(今の站川県)、揃氏県(今の松潘県)、蚕陵県(今の茂県の一部)、広柔県(今の北川県)、站江県(今の茂県の一部)の五つの県を設けました。
三国時代にも、蜀は漢の行政をそのまま続けていましたが、魏と呉との戦争が絶えなかったため、岷江上流地域への統治は形だけのものとなっていました。
魏が蜀を打ち破り、しばらくの後、中国が統―を迎えた時、魏政権は漢の五つの県を細分化して、白馬県(今の松潘県の西北部)、平康県(今の松潘県の西部)を増設し、更に平康県の西に新たに昇遷県(今の黒水県)と岷江下流に都安県(今の都江堰市)を設立しました。
三国時代にも、蜀は漢の行政をそのまま続けていましたが、魏と呉との戦争が絶えなかったため、岷江上流地域への統治は形だけのものとなっていました。
魏が蜀を打ち破り、しばらくの後、中国が統―を迎えた時、魏政権は漢の五つの県を細分化して、白馬県(今の松潘県の西北部)、平康県(今の松潘県の西部)を増設し、更に平康県の西に新たに昇遷県(今の黒水県)と岷江下流に都安県(今の都江堰市)を設立しました。
この時から、岷江流域の羌族に対しての行政管轄範囲が西南へと拡張していきました。

