中華民国時代と中華人民共和国時代
中華民国政府が成立されてから、岷江上流地域においてすでに勢力が弱まった瓦寺土司の地位を保留にして、松潘県など五県を設け、羌族地域は文川県、茂県、理県、松藩県の一部と北川県の一部で構成されることになりました。
長い時を経て、漢族、回族とチペット族の浸透により、実際に羌族の人口数が大多数を占める地域は少なくなりました。
1925年に四川軍閥の第二十四軍が茂県に駐留し、軍事力によって漢族の人口が増加してゆきました。
1935年以後、五つの県は新たに設立した四川省第十六行政督察区の管轄権の下に置かれ、また岷江上流地域の西のチペット族を管理するための靖化県を設けました。
1950年人民解放軍が岷江上流に入り、中華民国時代の行政単位を元にして、県レベルの人民政府を六つ創立し、懋功県、靖化県をそれぞれ小金県、金川県へと名称が変更されました。
この年から、主に四川省、東北三省出身の漢族が国から派遣されて岷江上流地域に仕事のために各地に配置され、この地域の漢族は絶対的多数派となり、羌族とチベット族の集中居住地は国道沿線から遠く離れた所にしか見られなくなりました。
1953年に、南坪県、黒水県を増設、1958年には站川県と茂県を合併して羌族自治県を設けます。
1992年、羌族自治県を撤廃し阿壩蔵族羌族自治州に昇格しました。

