<蘭州について...>
甘粛省の省都。黄河上流域に開けた町。漢代には金城と呼ばれた。武帝の西域経営の拠点として開かれた。河西回廊という。シルクロードの黄河以西の地域を指す。シルクロードの東端をなす東西交通の要地で、古来、漢民族と遊牧民族の争奪の焦点であったが、その東の始まりが蘭州である。
東西の文明が交差をしたところであり、漢民族と西域の異民族が出会った町でもある。
唐の時代、三蔵法師玄奘がインドへの途上、黄河を渡ったのもこの地である。文成公主がチベット王に嫁ぐ途上、青海湖へ向かう道筋で通ったのもこの地である。元の時代、マルコポーロが大都(北京)へ目指し、東へ東へと向かった途上通った町でもある。
町は、黄河に沿って両岸に長く延びる。東西35キロ、南北5キロ、という。
<蘭州の見所>
甘粛省博物館(かんしょうはくぶつかん)
蘭州西駅の近く、七里河区にある。大楼は中央が5階、両翼が3階。後方が大展示場、さらにその後ろが円形の講演ホールで、のべ床面積が2万平方メートルとかなり大きい。
収蔵品は八万点に及ぶ。多くは考古発掘品で新石器時代の彩色陶器、前漢の銅・木器、魏晋隋唐の時代の仏教石刻、西夏の文字などである。
嘉峪関で出土した魏晋時代の壁画墓が移築されている。発掘された六基のうち一基を移送し復元展示している。農耕、牧畜、養蚕、狩猟などの墓主が過ごした日常が描かれていて興味深い。
もうひとつ見逃せないのが、武威の雷台の漢墓から出土した「馬踏飛燕」と名付けられた青銅の馬である。躍動感溢れる造形は、二千年を経た今も見るものを惹きつける。その他、シルクロードの歴史を凝縮したような貴重な文物が多い。
白塔山(はくとうざん)
黄河の北岸、中山橋を渡ったところにある。標高1700メートル。市街が一望でき、かつては軍事上の要衝であった。黄河の流れを見るにも、最も適した場所である。この辺りはまだ上流域、青みを帯びた青年期の黄河が、若いなりにも悠々と流れる様は、頼もしくもあり微笑ましくもある。
山頂には、山の名の由来となった白塔がそびえる。七層、八角、高さ17メートル。創建は元代。チベットからチンギス・ハーンに遣わされたチベット僧がここで病死をしたためその供養に建てられたという。上部は中国様式、下部はインド様式の混交。
黄河鉄橋(こうがてっきょう)
蘭州市の白塔山の麓にある。長さ240メートル。
漢の古くから河西回廊の要衝で、戦役であれ隊商であれ、シルクロードを通る者にとってはの必経の地であった。厳冬期には黄河が結氷して厚さ数尺にも達するため、車馬はその上を渡ることができるので、前漢代以後は氷橋と言われた。のちに明代になると、大きな船を28艘連ねて浮橋とし、その上を渡ったとある。それを鎮遠橋と呼んだ。春になると架設し、冬になると撤去した。
ここに、鉄橋が架けられたのは、清代の1907年、ドイツの「泰来洋行」が請け負って完成させた。黄河に架かる初めての鉄橋であった。
1942年、孫文(中山)を記念して、中山橋と呼ばれるようになった。
1954年に大幅な補強工事が加えられている。今では黄河に架かる橋の数は増えたが、素朴な美しさを持つ橋である。
五泉山(ごせんざん)
蘭州市の南部、皋蘭山の北麓にある。海抜1600メートル。甘露、掬月、、摸子、恵、蒙の5泉があるので五泉山という。
武帝の時代、霍去病が匈奴との戦いで西征した際、ここに至ったが士卒は渇きに苦しんでいた。その時、霍去病が鞭で地面を打つと泉が湧き出てきたという物語が残る。
中心をなす建造物は明の洪武5年(1372)創建の崇慶寺。金代の1202年鋳造の鉄鐘がある。高さ3メートル、径2メートル、重さ5トン。銘文に「仙聞かぱ喜を生じ、鬼聞かぱ凶を停む。地獄を撃破し、苦を救うこと無窮」とある。
雁灘(がんたん)
蘭州市の市街の北東部。もとは黄河に浮ぶ十八の砂洲で、大雁が棲息していた。
1958年に周囲20キロ及ぶ環状の土の堤防とアスファルトの舗装路を築き公園とした。
羊の皮の筏
「羊皮筏子」という。内蒙古でもチベットでも見られる光景であるが、羊の皮でつくった筏で河を渡る。ここで見ると、黄河の大きさと筏の頼りなさの対照が印象的である。 町の中心では、観光用に浮かべている「羊皮筏子」もある。
炳霊寺石窟(へいれいじせっくつ)
蘭州市の南西100キロ。黄河北岸の積石山に彫られた石窟群である。実際に行くには、蘭州から南西75キロの地点にある永靖県から船に乗り劉家峡ダムから黄河を遡って行く。
「炳霊」とはチベット語、千仏・十万仏という意味。西秦時代(385~431)から北魏、隋、唐、明、清代にかけ、千六百年にわたり彫られてきた。シルクロードを行くには、ここから烏鞘嶺などの険しい嶺嶺を越えて行かねばならない。旅の安全を祈り仏像を刻む。あるいは逆に、シルクロードの長旅を終え、安全を感謝する。古来、こうして石像を刻まれてきた。
南北の絶壁に長さ2キロ、上下4層にわたって石窟と造像が彫られている。その数、石像が694体、泥塑像が82体、壁画がのべ900メートル。
炳霊寺のシンボル的存在は第171窟の摩涯大仏。彫られたのは803年。高さ27メートル。上半身は石彫、下半身は石芯塑造で、歴代の修復を経ながらも唐の時代のゆったりとした作風を今に残している。岩を削った桟道を進んでゆくと壮大な絵巻物の中にはいってゆくような不思議な気分になる。
また、船に乗り黄河を遡って行くときの、両岸に岩岩がそそり立つ風景もすばらしい。