<安西(あんせい)について...>
敦煌の東北110キロ。河西回廊を蘭州方面から西に向かうと、敦煌に着くその少し手前に当たる。強風の吹くところとして知られる。
唐代には瓜州と呼ばれていた。その名のとおり白蘭瓜、黄河密などの瓜を多く産する。
<安西の見所>
鎖陽城址(さようじょうあと)
安西県の県城東南約40キロゴピ灘にある。唐の時代、薛将軍の率いる軍隊が。この城に立て籠もったとき、食糧が尽きたが、軍民が城内に生えていた鎖陽(漢方薬の原料となる植物)を食べて生き延びたという言い伝えから鎖陽城と呼ばれるようになった。
南北470メートル、東西430メートル。現在の高さは約10メートル。西と北の両面に門を設けてある。
城壁の四つの角に土で築いた円形の建物の趾がある。物見台の跡とも考えられている。城内からは開元通宝や唐代の瓦や樽などが出土している。城壁に登って南方を望むとゴピ灘がはてしなくひろがり、その先には白雪をいただく那連山がそびえる。
楡林窟(ゆりんくつ)
安西県の県城南方約70キロ。楡林河の渓谷の両岸に開削された石窟群。万仏峡ともいう。
開削年代についての文字の記録はないが、中心柱のある洞翁窟の形式と第25窟の前室の天王壁にある「光化三年(900)」という題記から、唐代の開削と考えられる。
現存する窟は、河を挟み東崖に30窟、西崖に11窟、あわせて41窟である。総面積1000㎡余りの壁画と100体余りの彩色塑像が残っている。
第25窟の西方浄土・弥勒浄土の図は構図、色彩、描く線の美しさで唐代壁画の逸品とされる。
また、五代・宋代初期・西夏代・元代の壁画には従来あまり見られなかった人々の現実生活を反映する耕作、収穫、嫁入り、宴会、将棋、舞楽などを題材に採ったものもある。
全体を通じて、壁画の形式、題材、様式、題記などから、莫高窟との密接な関係が読み取れ、敦煌の西南30キロにある西千仏洞と併せ、「敦煌三大石窟「というような呼び方をされる。