中国の旅行,四川の旅行,九寨溝|チベット

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チベットの寺院(其の二)

<ポタラ宮>   
 ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群。チベット族の古建築の精華と言っていいだろう。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意だという。観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマを意味している。 
 十三階建て、主楼の高さは117メートル。総面積は十三万平方メートル。 

 白宮と紅宮に分かれる。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。 
 白宮は1645年、ダライ・ラマ五世によって着工。完成後にダライ・ラマはデプン寺から移り住み、それ以来ずっと、ポタラ宮はチベットの宗教と政治の中心であり続けた。紅宮の完成は1699年。摂政サンゲギャンツォの時代である。 
 観光は白宮から始まる。白宮七階はダライ・ラマの住居で、現在インドに亡命中のダライ・ラマ十四世の居住していた部屋もある。紅宮には歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟が置かれている。なかでも目をひくのは五世の霊廟。霊塔の高さは十四メートル。3700キログラムの黄金と一万五千個の宝石が使われている。 
 名高い「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」があるのは紅宮の三階。


<セラ寺(色拉寺)>  
 
ラサの北五キロの山麓にある。このセラ寺、デプン寺、ガンデン寺をゲルク派三大寺院と呼ぶ。その中で、最もラサ市内に近いのがセラ寺である。 
 創建は1419年。ツォンカパの高弟であるシャキャイェーシェー(1352~1435)による。ツォンカパからの信任が厚く、ツォンカパが明の永楽帝に招かれたとき、名代に派遣されたのがシャキャイェーシェーであった。その後、1434年にシャキャイェーシェーは明朝から大慈法王に封ぜられている。 
 デブン寺とならぶゲルク派の学問寺であり、多くの高僧を輩出してきた。四つあった学堂のうちガクパ堂、チェーパ学堂、メーパ学堂の三つが残っている。チェーパ学堂、メーパ学堂では仏教基礎、顕教が講じられガクパ学堂ではその上のコースとしての密教が講じられている。 
 シャキャイェーシェーが北京から持ち帰った朱砂で書いたチベット語のカンギュル経、紫檀で彫った十六羅漢像、ツォンカパの施主であったミワン一族によって寄進された釈迦牟尼仏などを蔵す。 
 日本人であることを隠し鎖国時代のチベットに仏法を求めて潜入した河口慧海や多田等観もこの寺に滞在をしてチベット仏教を学んだ。その意味では日本にも縁の深い寺である。 
 寺の裏山が鳥葬場になっている。面白半分の見学記もたまに見かけるが、最近はこの手の外国人の見物者に対する警戒心も強くなっている。いずれにしてもチベット人にとっては神聖な儀式の場であることをくれぐれも忘れることのないようにしなければなるまい。


<ジョカン(大昭寺)>
 聖地ラサのそのまた中心にある。チベット仏教で最も聖なる寺院である。チベット全土から、あるいはチベット以外の地、四川や青海、内蒙古からラサを目指す何千何万の巡礼は、ここジョカンに向かって集まってくる。 寺院の前では、多くの巡礼が五体投地を繰り返している。
 辺りは、灯明に使われるヤクの乳で作るバターのが燃える動物質の匂いに包まれている。最も聖なる寺院であり、同時に、最もチベットらしい雰囲気が漂う場所でもある。  
 創建は7世紀中葉、ソンツェン・ガンポ王はネパールよりティツゥン妃を、唐より文成公主を妻に迎えた。それぞれの妃がインド仏教と中国仏教をチベットにもたらしたが、ジョカンはティツゥン妃によって建立された。そのため寺の門はネパールの方向、すなわち西を向いている。 
 本尊として祭られているのは、文成公主が嫁入りの道具として持参したといわれる釈迦牟尼像である。 
 こんな言い伝えもある。かつて、ジョカンのある場所は湖であった。お告げでは、その湖を埋め立てて寺を建てよ、と。そこで湖を埋め立てたがそのとき活躍したのが山羊であった。そのために、ここがラサ(チベット語で山羊の地)と呼ばれるようになった、と。 
 入ると中庭がある。中庭にも灯明が燃やされ、ここで五体投地をする人もいる。中庭を抜けて本殿に入る。チベット仏教の場合、巡礼は常に右回り(時計回り)に廻らなければならない。 
 本殿に入りすぐ左手にあるのが歓喜堂。ゲルク派の開祖ツォンカパ(1357~1419)と弟子の像を祀る。次いで、阿弥陀菩薩を祀る無量光堂、薬師如来を祀る薬師堂、さらに進むと、民衆に人気の高い十一面観音像を祀る観音堂。その先が弥勒堂。ネパール妃・ティツゥンがネパールより招来したと言われる弥勒像が祀られる。ついで本尊である釈迦牟尼像を置く釈迦堂となる。この釈迦牟尼像はチベット最古の釈迦像であり、ブッダが在世中にその姿そのままに造られたと伝承されチベット人が最も尊ぶ仏像である。黄金の冠や宝石で荘厳され威厳を気高い湛えている。
 
 チベット仏教史のなかで最大の巨人といわれるゲルク派の開祖ツォンカパであるが、彼は若い頃からジョカンの釈迦牟尼像を深く敬慕しており、1408年、彼がラサの僧侶八千名を率いて初めてモンラム祭(請願祭)を催したとき、それまでに彼に布施された全財産をついやしてこの釈迦牟尼像を黄金の冠や宝石で荘厳した。その荘厳そのままの姿で現在もあるという。 

 二階にはソンツェン堂があり、ソンツェン・ガンポと一族の塑像が置かれている。 
 チベットの建築では、ポタラ宮の歴代ダライラマの霊廟にもみられるように、重要な堂には金瓦の屋根をつける。ジョカンでも観音堂、弥勒堂、釈迦堂、ソンツェン堂の四つの堂には金瓦の屋根が付けられており、それらがちょうど本殿の東西南北の四辺に置かれている。屋上に上るとその四つの金瓦の屋根に囲まれ絢爛にして荘厳な気分になる。 また、金瓦の屋根の間に見るポタラ宮の偉容も素晴らしい。 


<デプン寺(哲蚌寺)> 
 ラサ市の市街から西北に5キロ、山の斜面にある。セラ寺、デプン寺、ガンデン寺のゲルク派三大寺院のなかでも最大の規模を誇っていた。多いときには七千名を超える僧侶が修行をしていたという。 
 創建は明の永楽14年(1416)。ゲルク派の創始者・ツォンカパの高弟ジャヤン・チェジュによって建てられた。 
 1518年、ダライ・ラマ二世の時代、ゲルク派の有力な施主であったミワンタシタクパによってガンデン・ポタラ(ガンデン宮殿)が献じられた以降は、そこが歴代ダライ・ラマの居城となった。これは、十七世紀、ダライ・ラマの宗教・政治両面における絶対的権威が確立しダライ・ラマ五世がポタラ宮へ居を移すまで続く。 
 セラ寺とならぶ学問寺として、十七世紀には七つの学堂を擁していた。現在残っているのはそのうちの四つ。最も規模の大きなのはロセリン学堂、ついでゴマン学堂。デヤン学堂は顕教の学ぶためのもの。そして、ガクバ学堂は顕教を学んだ僧が密教を学ぶためのもの。 
 十七世紀以来、デプン寺はモンゴルより多くの留学僧を受け入れてきたが、そのほとんどはゴマン学堂で学んだという。そのため、モンゴルのチベット寺院の多くはゴマン学堂の末寺に当たる。日中戦争の時期、蒙古人になりすまし単身ラサに潜入、帰国後『秘境西域八年の潜行』を著した西川一三が学んだのもゴマン学堂である。


<ガンデン寺(甘丹寺)> 
 ラサの東40キロ。キチュ河の南岸に当たる。セラ寺、デプン寺、ガンデン寺のゲルク派三大寺院のなかでも、唯一ツォンカパ自身によって建てられた寺である。ゲルク派最初の寺でもある。創建は明の永楽7年(1409)。 
 ツォンカパ(1357- 1419)はチベット仏教ゲルク派の創始者。中国青海省ツォンカの出身。宗教改革者といってよいだろう。当時の堕落していた紅帽派を批判し、それと区別をするために黄色い帽子をかぶった。そのためゲルク派を黄帽派ともいう。十一世紀のインドの学僧アティシャが唱えた、覚りに至る道筋を帰依、発菩提心、菩薩戒、般若行、密教の順にとらえすべての修行法やすべての哲学を一つの修行階梯のうちに統合する思想を元に、様々に分裂をしていた当時の宗派の教えを統合する哲学大系を打ち立てた。チベット仏教史上、最高の理論家であり、チベット仏教が形成される過程で最も深い思想的影響を残したチベット人である。 
 ガンデンとは弥勒菩薩が住まいする地である兜率天の意である。ガンデン寺が完成しツォンカパがここに移ってから、ツォンカパの率いる集団は「ガンデン山の流儀」あるいは「徳行山の流儀」と称され、その略称として「ゲルク派」の名が広まった。 
 1419年、ガンデン寺が完成して二年の後、ツォンカパはこの地で没する。彼の遺骨を納めた銀の霊塔が建てられた。 
 ガンデン寺の僧院長、ガンデン・ティパは転生で選ばれる。おそらく、これには、論理学を重視し、論争に勝利したものが出世するという権威システムを造り、それによってチベット全土で他派を圧倒していったツォンカパの姿勢が影響を与えているのではないかと想像される。 
 1959年の解放軍の侵攻によって壊滅的な破壊を受けたガンデン寺であるが、徐々に修復がされつつある。修行僧も四百人ぐらいになっている。


<ラモチェ(小昭寺)> 
 ラサ市の市街にある。ジョカンと並ぶ古寺である。7世紀中葉、ソンツェン・ガンポが中国から娶った文成公主(?一689)が創建した。そのため、門は故郷の長安の方向、東を向いている。創建当時は中国様式であったというが、たびたび戦火にも遭い、現在の建物はチベット様式になっている。 
 大きな寺ではないが、壁や柱に朱色を多用した美しいたたずまいの寺 である。 
 本尊は、ネパール妃・ティツゥンがネパールより招来した阿シュク金剛である。文成公主が持ってきた釈迦牟尼像が、ティツゥンが建立したジョカンの本尊になり、ティツゥンがもってきた阿シュク金剛が、文成公主の建立したラモチェの本尊になっている。なぜか? 謎だそうである。 
 また、ラモチェは、15世紀以来ゲルク派の経学院のひとつ(ギュトー密教学堂)となり多くの僧を育ててきた。ゲルク派では顕教の学びが終わった後に密教の学習を義務づけており、その最高学府が密教学堂であった。
 

<ギュメー・タツァン(密教学堂)> 
 ジョカンとラモチェの間にある。ラモチェにあるギュウトー密教学堂と並び、ゲルク派のラサにおける二大密教学堂のひとつ。最初の学堂はツォンカパの弟子によって1433年に西チベットに建てられたが、ダライ・ラマ五世の時代にラサに移転してきたもの。
 ゲルク派では、まず顕教を学ばせる。それを修めたのちに密教に進む。もちろん、チベット仏教の神髄は密教のうちにある。その意味で、密教学堂はゲルク派の最高学府であった。 
 文革で閉鎖されたが、1985年から再開している。


<ノルプリソカ> 
 ラサ市街の西の郊外にある。チベット語で「宝珠の林園」の意。1740年代、ダライ・ラマ7世(1708~57)のときに造営し、のちに歴代のダライ・ラマの夏の宮殿となり、以降、チベット歴の4-9月はここで政務を執り、式典を行ってきた。
 総面積36万平方メートル。灌木が生い茂る美しい庭園に幾つかの棟が点在している。そのうち、タクトゥミンギュル宮はダライ・ラマ十四世が住んでいた建物。謁見室、私室、瞑想室などがあり興味深い。
 
1959年、ダライ・ラマ十四世がインドへ亡命をするのも、ここノルブリンカから脱出をしたという。 

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