宝光寺は成都市から18kmの新都県の北にあり、その面積は約9haで、成都地域で最も大きな仏教寺院と宏大な古代建築として名を知られておりす。
その建造年代は後漢で、「大石寺」と呼ばれておりましたが、黄巣の農民蜂起軍が長安を攻め落とした翌年の881年に唐の僖宗皇帝が新都県に逃れ、寺の中に行宮を建て寺と舎利塔を建て直し、名を「宝光寺」と改めました。明代に寺は戦火によって焼かれ、清代にもとの土台の上に再建しました。それ以来百年あまりの間改築改造を繰り返し、現在の規模となりました。今、寺の中には塔が1つ、仏殿が5つ、庭が16あります。主な建築物に使われている石の柱は大小あわせて400本ほどあります。寺の中の殿堂や庭園などは、ドア、窓、軒、屋根の彫刻が特に精美なものです。
中国の昔の寺院は主体建築物が一直線に並んでおります。主な建築物は山門、天王殿、舎利塔、七仏殿、大雄宝殿と蔵経楼などがあります。山門殿は寺の入り口で、その両側に二つ金剛力士が置かれ、それに右側に地蔵さま、左側に明代の著名学者の楊升庵の塑像があります。
中に入ると天王殿です。ここには四天王の塑像が飾られています。仏教思想では地球はもともと四つの部分からなり、それぞれの部分を支配するのは四天王です。インド仏教は世界を構成する基本的物質を「地、水、風、火」の四種類にしていますが、四天王が持っているのはすべての魔法の武器で、琵琶は地を、宝劍は火を、蛇は水を、傘は風を象徴しています。四天王は仏法を守るだけではなく、人間すべての人を守っているのです。そして、その中心には弥勒仏の像があります。
舎利塔は約千年前の唐代に建てられたものです。伝えによりますとその時唐の僖宗皇帝はこの寺に住んでいましたが、夜中によく舎利塔の付近がピカピカ光っているのを見て驚きました。人に尋ねるところ「それは舎利が光っていて、御朗報があり、農民の乱が既に平定し皇帝さまが安心して長安にも戻ることができます。」と説明しました。それを聞いた僖宗皇帝が大喜びしてその場所を掘って見ると、一つの石箱が見つかり開けて見ましたら13個の仏舎利があり、ピカピカと光っていました。ですから、13層の舎利塔を建てるよう命じ、舎利塔と名付けたそうです。この塔は高さが30mで、各層の四面にも形違う仏像を彫刻しております。
七仏殿は清代に建てたものです。殿堂には三組の仏像があり、合わせて7体あります。お釈迦様は仏教の創始者ですが、お釈迦様よりも早く仏になったのがこの七仏です。七仏殿の後は韋駄天像です。伝説では韋駄天はお釈迦様の弟子で、お釈迦様が涅槃なさった後その仏舎利が異教徒に盗み去られてしまいました。韋駄天はその早い足で追い掛け、仏舎利を取り戻すという手柄を立てたので、守護神の中の第一と封じられました。韋駄天の像は大雄宝殿に向かい、お釈迦様を守っているのです。
大雄宝殿は仏教寺院の中心地でありとても荘厳です。大雄とは大英雄のことで、なにもおそれないという意味です。昔インドの仏教信者がお釈迦様を尊敬する言葉です。殿堂の真中にいらっしゃいますのはお釈迦様で、弟子たちに説法している塑像です。両側に弟子の迦葉と阿難の立像があります。殿堂の中には座ぶとんがぎっしり並べられており、太鼓、木魚などの法器があります。
お坊さまが木魚を叩いている間に、お線香を供えてる人々が後を絶ちません。
後には蓮の花を手にしている阿弥陀仏です。阿弥陀仏は西方極楽世界の教主で、釈迦仏と薬師仏と一緒に「横三世仏」と呼ばれ、普通西方極楽世界阿弥陀仏と言います。西方極楽世界とは苦痛がない、花でいっぱいで、黄金が一面に敷かれている人間の憧れている世と言われていて、「南無阿弥陀仏」という言葉をよく念じると亡くなる前に阿弥陀仏が西方極楽世界へ案内してくれるそうです。ここの「南無」は敬礼という意味です。そのため、今中国では仏教信者でない人も寺でそれを念じています。
蔵経楼は仏教経書を保存する場所として仏教寺院の中で欠かせないものです。ここには清の乾隆皇帝の時刊行された「大蔵経」があり、全部で366冊です。
それから羅漢堂です。数多くの羅漢像はいずれも2mの高さで、衣の紋がはっきりして、顔や姿も変化に富んでおり、喜怒哀楽がいきいきとしています。この素晴らしい造形はわが省では最も完全な羅漢像です。
念仏堂にある石刻の舎利塔も重要な建物です。それは1906年に建造されたもので、直径2m、高さ5.5mの三つの青石を彫って造られたものです。その塔は二層に分かれて、上層にはお釈迦様に関わる物語の彫刻が、それぞれ表情が異なり、人物、鹿、仏手など百余り彫られております。下層にはお釈迦様の舎利を3つ置いてあり、また釈迦仏と阿弥陀仏の像もあります。この塔の彫刻は非常に高い芸術的価値があります。
もう一つ有名なのは「千仏碑」です。梁の武帝が造られたこの石碑は1.8mの高さで、その四面に千体余りの仏像があることから名付けられたものです。それぞれの仏像は高さが5cm位で、体格剛健、形態優美です。
寺の中にはまた漢代の瓦、鼎、貝葉経など珍しい文物があり、歴代の画家や書道家の自筆の書画も陳列されています。