2006年2月27日
<敦煌(とんこう)について...>
かつては沙州と呼ばれた。四方を砂漠で囲まれたオアシスである。漢の武帝が西域経営のために設けた、武威、張掖、酒泉、敦煌の西域四郡の最西端の砦であった。西域に対する最前線の軍事基地としての役割を担ってきた。
同時に、辺境の地であるだけに、ひとたび中原の漢族の王朝の影響が弱まると、吐蕃、西夏などの異民族の占領するところとなる。幾多の民族の興亡の舞台でもあった。
標高は高く、海抜1700メートル。西には西域に、南は青海からチベットへ。古代よりシルクロードの交易、軍事の要衝であった。それを可能にしていたのは、祁連山に源を発する、党河の流れであった...
2006年2月27日
<安西(あんせい)について...>
敦煌の東北110キロ。河西回廊を蘭州方面から西に向かうと、敦煌に着くその少し手前に当たる。強風の吹くところとして知られる。
唐代には瓜州と呼ばれていた。その名のとおり白蘭瓜、黄河密などの瓜を多く産する...
2006年2月27日
<嘉峪関(かよくかん)について...>
万里の長城の西端。東の端は河北省の山海関。その間6000キロに及ぶ。
北の合黎山、南の祁連山に挟まれた峡谷になっており、西からの攻撃を防ぐには最適の場所である。関が設けられたのは明代の14世紀、モンゴル族の侵攻を防ぐ目的で馮勝将軍によって建てられ、嘉峪山の麓にあるで嘉峪関と名付けられた...
2006年2月27日
<金塔県(きんとうけん)の見所>
肩水金関遺跡(けんすいきんかんいせき)
酒泉の東北130キロ、金塔県のエジナ河(額済納河)の東岸にある。漢代に河西に出入りする通路を守る関の役割を果たしていた。北は居延塞(現,内蒙古自治区額済納旗)に至り、南は肩水都尉府と肩水侯官を守る...
2006年2月27日
<酒泉(しゅせん)について...>
河西回廊の中部。張掖とともに東西交易の拠点として栄えた。ともに、祁連山に源を発する河川の流域のオアシス。酒泉は、張掖から西北へ221キロ。古名に粛州という。一方張掖は甘州。甘粛の省名二つを合わせてできた。
漢の時代、武帝が西域経営のために設置した西域四郡のひとつ。漢書・張騫伝に言う。「今の地の西に初めて築き、酒泉郡をおく。西北の国に通じる」...
2006年2月27日
<張掖(ちょうえき)について...>
河西回廊の中部にある。武威どうよう以前は匈奴の根拠地であったが、武帝が霍去病を遠征させ、郡を置いたところから中国の版図としての張掖の歴史が始まる。
祁連山を南に望み、祁連山に源を発する黒河に潤され、シルクロードの豊かなオアシスとして栄えてきた。古来、「金の張掖、銀の武威」という...
2006年2月27日
<武威(ぶい)について...>
蘭州市からは西北へ290キロ。祁連山の北麓、石羊河の上流である。河西回廊の東部。かつては匈奴の根拠地であったが前漢の武帝の時代、匈奴を駆逐し、河西回廊に四つの郡を設置した。今で言う、武威、酒泉、嘉峪関、敦煌である。その武威である。
漢以降も、中国と西域の接点で有り続け、シルクロードを往来する商人たちが雲集し、中国に仏典を伝えた鳩摩羅什なども滞在をしている。また、史跡も多く、特に、雷台から出土した「飛燕を踏む馬」は名高い...
2006年2月27日
<華池県(かちけん)について...>
甘粛省の東部にある。陝西省と隣接する...
2006年2月27日
<成県(せいけん)について...>
甘粛省の南部。陝西省との境に近い...
2006年2月27日
<隴西県(ろうせいけん)について...>
甘粛省の東部。蘭州の東南210キロ。隴海鉄道が通る...
2006年2月27日
<会寧県(かいねいけん)について...>
甘粛省の東部。黄河の支流・祖厲河の上流に当たる...
2006年2月27日
<天水について...>
甘粛省の南部。黄河の支流・渭水の南岸。古来、甘粛、陝西、四川のを繋ぐ交通の要衝であった。...
2006年2月27日
<夏河(かか)について...>
大夏河の上流にあたる。青海省に隣接。ラプロン寺によって知られる。蘭州からは黄河を越え、大草原を越えて西南へ五時間...
2006年2月27日
<蘭州について...>
甘粛省の省都。黄河上流域に開けた町。漢代には金城と呼ばれた。武帝の西域経営の拠点として開かれた。河西回廊という。シルクロードの黄河以西の地域を指す。シルクロードの東端をなす東西交通の要地で、古来、漢民族と遊牧民族の争奪の焦点であったが、その東の始まりが蘭州である...
2006年2月27日
中国西部の内陸部、黄河の上流地帯にある。東は陜西省、北東は寧夏回族自治区、西は青海省と新疆ウイグル自治区、北は内蒙古自治区に隣接。またモンゴル共和国と国境を接している...