中国の旅行,四川の旅行,九寨溝|チベット

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[三国志の旅]成都+ロウ中+広元+漢中+宝鶏+五丈原+西安7日間

◆ツアー条件◆
出発地成都(上海解散)設定期間2006年04月04日~2006年10月31日
集合地成都(双流)空港旅行代金元/人(2名1室)
旅行日数7日間ブランド 
利用航空会社なし
利用ホテル 
最少催行人員2 名より催行いたします。
添乗員添乗員は同行しません。現地日本語係員がご案内いたします。
備考・相部屋はお受けできません。1部屋をお1人でご利用される場合はお1人部屋追加代金が必要となります
・3名で1部屋利用(トリプル)はお受けできません
6日目の大雁塔に登る際は貴重品以外のお荷物を指定の場所にお預け頂くことになります
ロウ中のホテルはシャワーのみのお部屋となる場合があります
ロウ中と漢中のホテルは水まわりの設備が十分でなくご不便をおかけする場合があります。あらかじめご了承ください

三国志の旅

<三国志関連の遺跡一覧>
 
 
 
 
 

姜維衣冠墓

姜維衣冠墓  蜀の将軍姜維が魏の将軍鐘会と蜀滅亡まで戦った四川省剣閣関にある姜維の墓で、高さ1メートル、長さ3メートル、碑文には「漢大将軍姜維之墓」と書かれ祀られている。  ...

蒋琬墓

四川省綿陽市郊外の西山にある蒋琬墓は、八角形をした石の墓で、高さ4メートル、周囲25メートルある。墓の側には蒋候祠があり、祠の前には蒋琬の銅像がある。その表情は荘厳で穏やかで彼の個性を表している。表門の両側には14字の聯雲が書かれており、蒋琬が諸葛孔明を助けたという偉業がたたえられている。

成都武侯祠

成都市郊外にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社。6世紀ごろから建てられ始め、明代には隣接する主君・劉備玄徳の陵墓、漢昭烈廟と併合された。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれている。

勉県武侯祠

勉県は陜西省漢中市から西へ50キロの場所にある三国時代の古戦場で諸葛孔明が魏討伐のために軍隊を鍛錬した地として知られている。武侯祠は、勉県の旧市街から東に五百メートルの場所にある。最古の武侯祠で、263年に建てられた。

龐統祠

龐統祠は四川省徳陽市から約15キロ離れた郊外の老陝路の道沿いにある。
古代、秦から蜀に続く道の最後の堅固な関所で、省級の保護単位になっている。
龐統の墓は、214年に、龐統が流れ矢に当たって死亡した後、蜀漢の劉備が建てたものである。
龐統祠の内部には、諸葛亮の塑像や歴代の石刻、字画など大量の貴重な資料が展示されている。
祠の周囲には、古柏が空高く聳え、青々と茂っている。

五丈原

五丈原は、于岐山県の南20キロメートルの所に位置している。高さ20数メートルの高台にあり、北に渭水を望む。ここは、三国時代、諸葛孔明が最後に戦った戦場である。諸葛孔明が劉備軍を率いて魏に挑むこと五回。今回は秦嶺山脈を越えての進軍であった。迎え撃つのは魏の大将軍・司馬仲達で河を挟んでのにらみ合いが長く続いた。

剣門関

剣門関は歴代の兵家達によって必ず争われてきた天然の要塞である。「険門関を得れば、四川を得る」とも 言われた険峻な地で、この二千数百年の間に百回近くの戦があったそうだ。三国志の時代では諸葛孔明が関楼の下の谷に30里に及ぶ閣道を造って北伐の根拠地とした。険しい山々がそそり立ち、その名のごとく剣の門である。そして蜀が滅亡する直前、3ヶ月に渡って剣門関を死守したのが姜維である。263年8月、魏は全軍をあげて蜀に侵攻する。姜維は沓中から退いて剣閣(剣門関)に立てこもり、鐘会に抵抗した。兵数10万を誇る鐘会軍もなかなかこれを攻め落とせず、姜維に向かって投降を呼びかけるが、姜維は頑に抵抗を続けた。

白帝城

白帝城は紫色をした白帝山上に位置し、四川省奉節県からは4キロの距離のところにある。元の名前は、紫陽城といい、悠久の歴史を持つ古城である。地形が非常に険しく、古来から軍事の要衝であった。前漢末期、公孫述がこの地で蜀の王として君臨していた。

鄧艾父子の墓

四川省剣閣県の県庁所在地から北に10キロの北廟郷孤玉山に位置している。鄧艾父子は謀反をたくらんだと濡れ絹を着せられこの地で殺害された。墓は土塁で、周囲は黒い石で築かれている。墓碑には「魏征西将軍鄧艾墓」と記されている。墓の側には「彰順王廟」がある。

翠雲廊

翠雲廊、またの名を「皇柏」、「張飛柏」、1万本近くの濃緑の古柏によって構成されている回廊である。剣閣県内に位置し、300余りの街道沿いに分布し、長い年月が経っているが、依然として生気が満ちている。世界でもめずらしい植樹された古い街路樹の集合体である。“張飛柏”は剣閣の人々の間で翠雲廊の古柏の代名詞になっていて、昔からの言い伝えが今まで伝えられている。

華容道

紀元208年、曹操は荊州を手中にした後、休むことなく20数万の水陸の大軍を率い長江に沿って東に向かった。劉備と孫権を一挙に消滅させ天下統一をするという野望を抱いていた曹操だが、勝利に有頂天になり、赤壁の戦いでは孫権、劉備連合軍から火攻めに遭い大打撃を受け華容道を経て江陵に退却するところだった。華容道を抜ければ曹仁の待つ城まで戻れる。

荊州

荊州では天下取りの為の熾烈な争奪戦が繰り広げられた。208年曹操は南下して、劉表の所に身を寄せていた劉備を追撃し当陽で徹底的に潰したが、赤壁の戦いでは孫権、劉備連合軍に大打撃を受け、雨と泥の華容道を経て江陵に退却した。

古隆中

古隆中は、湖北省襄樊市から13キロメートルの歴史文化と山岳丘陵の景色が一体となった観光地「隆中風景区」内にある。面積は209平方キロ。古隆中の山の入口には、正面に「古隆中」と彫られている石の牌楼が建っている。裏には「三代下一人」と書かれている。この牌楼が暗示している人物は、もちろん夏・商・周以降の1000年で唯一の傑出した人物諸葛孔明である。
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